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エッセイ

たまに、いい。

ハムとレタスにツナのサンドウィッチ。

そして、一杯のウィスキー。

これが、僕のお気に入りの昼食。

こんなのが、たまに、いい。


by 伊布繕晃

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ゴジラ

godzilla
子供の頃に映画館で観る映画といえば、それは決まってゴジラだった60年代、キングコングもアンギラスも、モスラもラドンもキングギドラも、ゴジラと死闘を繰り広げ、それを固唾を呑んで見入ったものでした。
ゴジラは時代背景も得意でした。
当時流行ったイヤミのお決まりポーズ“シェー!”をしてみたり、70年代に入ると環境汚染からヘドラが現れたりしました。
ゴジラ飛ぶ!ってのが、火を吐いた威力を利用して後ろ向きに飛んだのには驚きました。
54年に初めて姿を現したゴジラはシルエットもシャープで、モノクロも相まって恐ろしさもあったけれど、その面構えもスタイルも幾度か変わって、目がクリクリっとした可愛い時代もあって、それでも一貫して血潮のようなものは絶えず通っていたように思います。
僕は、ゴジラの眼が好きです。凶悪そうなんだけど、適度に瞳孔が開いていて、底根まで腐った悪じゃない。
そこには、敗者の美学、とでも申しましょうか・・・勝ち負けよりも、戦いが悲劇、というような息吹が絶えず感じられるのです。
ゴジラを含む国産ヒーローの数々は、日本人だからこそ真っ先に理解できること・・・例えばスペシウム光線と言われて、“ソレ、ナンデスカ?セカイサイキョウノブキハ、ミサイルデス”とは決して言わない、お醤油テイストのたくましく純朴な想像力と、“わびさび”の結実であるように思います。
写真は合成です

by 伊布繕晃

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マーマレードが好き

マーマレードが好きだ。
あの恍惚と光るオレンジ色のそれを見ると、つい笑顔になる自分を発見した時は、自己の深層心理の核心を紐解いた心もちだった。
バター以外の塗るもの、ジャムといわれるものの中では、マーマレードが一番大人しく、大人らしい、と僕は思う。
だから子供の頃はマーマレードが苦手だった。
子供の頃のジャムは、無機質で淡白で噛んでも噛んでも咽を通ってゆかないパンをご馳走にする魔法のオプションパーツだったから、いちごジャムも、ピーナッツジャムも、チョコレートジャムも、たっぷりつけて、その美味しさをうっとりと楽しんだけれど、マーマレードだけは、同じように塗ると柑橘系の甘酸っぱさとジャム特有の甘さが混ざり合った独特の苦味のようなものがパンと喧嘩をしている様な味わいに、少しも美味しいとは思わなかったし、むしろ酒やタバコと同類の、大人の嗜好品と信じて疑わなかった。
コーヒーに砂糖を入れなくなり、ビールの苦さが気にならなくなると同時に、マーマレードが好きになった。
マーマレードは、ちょっぴり塗るのが良いと思う。
クラッカーなどは、その塩気を、ほんのわずかなマーマレードが一層引き立てて、コクと香りと爽やかさを運んでくれるひとつのマジックそのものだと思う。

by 伊布繕晃

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白バイ

子供の頃は白バイに憧れたりしたものです。
でもなぜでしょう、高校生になると逃げるようになったのは・・・。
子供の頃は街で白バイを見かけると、うっとりと眺め入ったものですが・・・
大人になると、なんででしょう、運転している車のバックミラーに突然白バイが現れると、!?え?・・・おれ・・・なんかした?・・・と、思うのは・・・。
冗談はさておき・・・
白バイにまたぐだけでも乗れる、なんてのは、白バイ隊員以外の一般人ではなかなかできないもんです。
東京京橋の警察博物館では、その憧れを見事叶えてくれます。
ええ、もちろん乗りましたけど?
見知らぬお子様連れの奥様にお願いして写真まで撮っていただきましたけど?
うかつにもニコニコしてるから写真掲載は差し控えますが・・・
白バイ・・・
スイッチいっぱいあって・・・ワクワクした。
でも、数が多すぎて・・・
赤色灯止まらなくて焦った。

by 伊布繕晃

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フライドポテト

かつてお世話になった方の中で、カラオケ会社“D”の通称“しげちゃん”は、これが本当にファーストフードのフライドポテトに詳しくて、あそこのポテトには肉汁を注射しているからジューシーなんだ、とか、ここのポテトは揚げる温度と塩の分量が決められていて、どこでも同じ味なのだ、といったような事を、よく聞かされた。
背は高くなく、少し太っていて、そしていつも汗をかいていて、会うたびに“ポテトのことは聞いてくれ”と挨拶代わりに言葉を投げた“しげちゃん”と共に食事をすると、決まって彼は、まあるい顔に腫れぼったくくっついた細い目の淵を思い切り下げて、それはそれは美味しそうにパクパクとフライドポテトを食べながら、指でつまんだそれの話をした。
彼がフライドポテトの話をするとき、それは力説に近かった。
いつものように聞かされる同じ話を、恰も今回初めて聞く風に、僕は聞いた。それが同じ話でも、興味を抱かせる話術が彼にはあったから、つまらない小説を読んでいる時のような退屈などしなかったし、むしろ聞けば聞くほど旨味が増していくような気がした。
そして、その、まるで講義のような時間が続くごとに彼の力説は一層力を帯び、それでいて、とてもにこやかだった。
フライドポテトを食べるたび、また“しげちゃん”に会いたいなぁ、と、思う。
ファーストフードの小さな小箱へふんだんに流し込まれる揚げたてのフライドポテトの音が聞こえると、そこに香りも伴なって、そのあつあつの一本一本に、まるで愛情を秘めた物語が宿っているかのように見入ってしまうのは、あの頃の思い出がまだ瑞々しさを失っていないからなのかもしれない・・・と、ときどき、思ったりするのです。

by 伊布繕晃

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